面接で英語力を指摘されても、諦めきれずに自分で試合のチケットを買い、会場へ足を運んだ。出待ちをして練習に通い、未経験のまま現場へ。不安を押し切って踏み出したその一歩が、今の仕事の始まりだったと静かに振り返る。
Q&A インタビュー
今はどんなお仕事をされていますか
はい、スポーツ通訳をしています。スポーツ通訳といっても本当にいろいろな場面があるのですが、私がもともと経験してきたのは、プロバスケットボールのチームに所属して、外国籍選手やコーチたちのために通訳をするという仕事でした。チーム付きの通訳を経験して、今はフリーランスなのですが、フリーランスとしては、例えば国際大会が日本で開催されるとなったときに、どこかの国の記者会見で通訳をしたり、大会期間中、海外の選手たちが困らないように近くで滞在して案内をしたりしています。何か必要なものがあれば大会側に伝え、日本での滞在期間がスムーズにいくようにサポートする仕事です。例えば怪我をしたときに一緒に病院へ行くようなことも多く含まれるので、通訳だけでなく、英語を使って選手やコーチたちを本当にサポートする仕事です。
フリーランスを選んだ理由
チームに付いてずっと仕事をするという形で、最初は5年ほど頑張りました。ただ、そうした働き方はシーズンが始まると遠征も多く、シーズン前には合宿もあります。練習がオフの日でも、外国籍選手がコストコに買い物に行きたいとか、子供が風邪を引いたから病院に付き添ってほしいとなれば、もちろん全部一緒に行ってサポートします。そうして本当に全く休みがない日々を何年も過ごすうちに、このまま業界に残ってこの形で突き詰めていくのもいいけれど、私はそうではないな、と思うようになりました。スポーツ業界は競技ごとにとても狭い世界で、昔からの文化も大切にされていて、選手もコーチも、その上の人たちも大事にしてきたものがあります。ただ、それによって、私自身は閉ざされた世界に感じることもありました。だからこそ、社会人としてもっと成長するために、いろいろな場所でいろいろな仕事を経験したいと思い、フリーランスになりました。
スポーツ業界に入ったきっかけは
もともとスポーツ業界に入ったのは26歳のときです。新卒で社会人になったときも、英語を使う仕事がしたいと思いながら、何がしたいのかは分からず、最初は英会話教室の営業の仕事に入りました。そこで営業成績はとても良かったのですが、自分の中でやり切った感が出て、燃え尽きてしまって。では次に自分がやりたいことはないかと考えたときに、大学時代にラクロスをやっていたこともあって、そういえば私はスポーツが好きだったな、と。それに英語も好きなので、英語を突き詰めて仕事がしたいという思いが出てきました。そのときに思い出したのが、中学2年生のときに開催されたサッカーの日韓ワールドカップです。当時の監督がトルシエさんで、その通訳がダバディーさんという、フランス語と日本語の通訳者の方でした。すごく話題になっていて、トルシエさんのジェスチャーや身振りまでコピーして伝えると言われ、メディアにもよく出ていらっしゃったんです。それを鮮明に覚えていて、こういう仕事があったな、私も挑戦してみたい、と。そのとき、スポーツ業界で頑張って挑戦しようと思いました。
未経験からどう採用されたのですか
その面接には、なんとか通ったというか、通った理由はほぼ熱意でした。熱意を伝えて入ってしまったんです。通訳希望なので、面接では当然、英語力のチェックもされます。でも当時、私は全く英語が喋れませんでした。チェックを受けたものの、面接してくださった方に「その英語力では厳しいかな」と言われて、すごく落ち込んで帰ったんです。ただ、その方が「やる気は伝わってきたから、よかったら試合を見に来てね。今週末、ちょうど関西であるよ」とおっしゃってくださって。私はローソンに行って試合のチケットを自分で買い、本当に会場まで行きました。今でこそ出待ち禁止のチームも多いですが、当時はファンの方が選手やコーチに声をかけるのが当たり前だったので、私もファンに混じって出待ちをして。面接してくださった方が出てきたときに「すみません、この間面接していただいた者です。本当に試合に来ました」と言ったら、すごく驚かれて。「本当に来てくれたんだ、どうだった?」と聞かれて、バスケの知識もないのでどうだったかも分からないけれど、「すごく面白かったです」と答えました。すると「よかったら、まず次の練習に来てみる?」と言われて、行くことになり、そこから「明日も来てみる?」「しばらく手伝いに来てみる?」という流れになって、正式に契約をいただいたんです。
初めての通訳はどんな体験でしたか
英語力がないまま入ったので、最初は「これを外国籍選手に伝えておいて」と言われるような、本当に簡単な部分から任せてもらいました。「このインタビューの通訳をやってみなよ」と、いい具合に任せてくれたのですが、それでさえ難しくて。よく覚えているのは、最初のヒーローインタビューです。外国籍選手がその日のヒーロー、活躍した選手に選ばれて、コートの真ん中に立って、「はい、訳して」とマイクを渡されたとき、本当に体が震えました。マイクを持っても震えながら訳したのですが、ファンの方に向けたとてもシンプルなメッセージだったので、何とか言葉に詰まらず、お客さんたちにお礼を伝えて終えることができました。初めて人前で通訳をする機会だったので、どれだけ緊張したか、今でも鮮明に覚えています。
チーム通訳の大変さとは
何も問題がなければ、練習が夕方に終わる日も、午前中で終わる日ももちろんあります。ただ、シーズンが長いので、怪我をしてしまったり、慣れない国で長く過ごす外国籍選手が「こういうものを買いたいけれど全然売っていない。ここから2時間運転したところにはあるらしい」と言えば、きちんと買いに行って、その生活を整えてあげる。それが結果的に回り回って、必ず成績につながっていく、と考えてサポートしなければなりません。それをシーズン中ずっと続けるのは、積み重なっていくと、スタッフもなかなか大変なところがあるなと思います。
最も神経を使う場面はなんですか
当時、チームの通訳をしていたときは、練習内容を訳すのがなかなか慣れなくて、やってもやっても慣れず、苦手意識がありました。「これで伝えられているのかな」と常に思いながら、伝えもれや伝え間違いがないように、選手に訳す前にはコーチへ「こういうことですよね」と必ず確認していました。それでも、いざ練習が始まると、チームには良いときも悪いときもあるので、空気が悪い日もあります。厳しい言葉が飛び交うこともあって、何か行き違いが生まれたときには、「私の伝え方にもう一工夫できていれば、もっとスムーズにいったのではないか」と常に感じてしまって。どうしようもない部分もあったかもしれませんが、いつもチームが良い方向に動くようにと思っていたぶん、自分の伝えるレベルが伴わないことが苦しかったです。練習に関する内容や競技に関することを訳すときは、本当に神経を使ったなと思います。
仕事で大変だと感じることは
スケジュール的なところですね。シーズンが進むといろいろなことがあって、休める時間がほとんどなくなります。そうなると余裕がなくなって、うまく訳せない自分にもなおさらイライラしますし、体調も自分でコントロールしなければなりません。体力的にも精神的にも、どんどんしんどくなっていくのかなと思います。フリーランスになってからは、単純に飛行機での移動が体力を削るな、というくらいですね。今はむしろ、好きな仕事をより突き詰めている感覚があるので、仕事そのものがしんどいというよりは、移動時間が大変です。ハワイ遠征に行ったときは、羽田か成田から夜のうちに飛んで、現地に着くと朝なんです。選手たちは朝一に着いても「ハワイだー」とすごく元気なのですが、こちらは飛行機でそれほど熟睡できないので、朝に着かれても一度寝たい、という感じで。本当に疲れます。時差や、そういった移動ですね。
ワークライフバランスはどうですか
バランスを取るのが難しいなと感じています。フリーランスは、自分で仕事量や働く時間を管理してやっていくことが多いので、時間の管理が大変で。これはフリーランスあるあるだと思うのですが、依頼が来ると、すでにスケジュールがパンパンでも、せっかくいただいたから頑張りたいと思って受けてしまうんですよね。私も実際、仕事量が多すぎて大変な思いをしたことがあります。かといって、大変になりそうだからとこれとこれを断ると、逆にすごく時間が空いてしまったりもする。だからこそ、フリーランスは意図的にバランスを取るのが少し難しい働き方でもあるのかな、と思います。
運営側の仕事にも興味を持ったきっかけは
チームの通訳や大会の通訳という立場を経験してきて思ったのは、通訳はみんなが整えてくれた舞台に、最後にポンと呼ばれる存在だということです。もちろんそれまでに準備はしますが、みんなが用意してくれた場所でしか仕事ができない、という感覚がすごく強くなって。そうではなく、みんながどうやって準備をしてくれたのかを知っていきたい、という思いが芽生えた時期がありました。それで今は、大会を作る側の運営の仕事にも携わるようにしていて、通訳を呼ぶ側の立場で仕事をすることも少しずつ出てきました。そうなると、その側の苦労も分かりますし、逆に自分が通訳として現場に呼ばれたときの気持ちの入れようも変わります。例えばイベントの通訳に行くとき、私は入り時間を言われて、その時間に行くだけです。でも、着いたときには椅子が並べられ、マイクもスライドも用意されている。それは魔法でできるわけではなく、誰かが何か月も前から集客をしたり、椅子をいくつ発注するかを考えたりして、整えてくれているんです。それを私自身、ほかの仕事で運営を経験したことで知れたので、現場に入ると、この人たちの思いを全部背負って、今日は絶対に成功させたいと強く思うようになりました。通訳は最後に呼ばれる仕事ですが、その表面的な部分だけで終わりたくはないな、という気持ちでいます。
これから挑戦したいことはなんですか
やはり、何かを作る立場に惹かれます。スポーツの大会も、現場に行って訳すだけではなく、こういう場所を借りて、こういう人たちを呼んで、海外からこんな人たちも呼びたいよね、と。そうやってコミュニティを作ったり、舞台そのものを作ったりするところに、すごく興味がありますし、これからやっていきたいなと思っています。
5年後の自分をどう思い描くか
5年後ですか。ちょうど最近それを考えていたのですが、そもそも5年前に、今の自分の姿は想像していなかったんですよね。この5年の間に、フリーランスとしてすごく軌道に乗ってきて、バスケットボール女子代表のマネージャーをやらせてもらったり、ラグビーの日本代表で仕事をしたりしました。スポーツ業界に踏み出すときには、日本代表という肩書きを背負って仕事をするなんて、全く思っていなかったんです。だから本当に、5年後の自分も全く想像がつきません。ただ、ずっとやってきて思うのは、結局、実直にコツコツ頑張った人が報われているということです。それを繰り返していけば、大きくてキラキラした目標はなくても、ちゃんと良い場所にたどり着けるのではないか。だから、ひたすら素直に、真面目にやっていけたらいいなと思っています。
この仕事を目指す人に伝えたいことは
「やりたいんです」という相談をいただくこともあるのですが、そういう方が同時に必ず口にするのが、「でも不安なんです」「私にできるか不安です」という言葉です。私自身もそうでしたし、今でも新しい仕事をいただいて新しい現場に行くときは、すごく不安で、いろいろと気を使って向かいます。そういう不安な気持ちは、なくならないと思うんです。だから不安なのはよく分かるのですが、一歩踏み出すことで人生は大きく変わると思っています。私も当時、バスケチームに入ったとき、英語も話せないのに「通訳をやります」と不安になりながら手を挙げたり、出待ちをして「練習に行きたい」と言ったり、本当に不安でした。それでも、それを乗り越えて行動したから、なんとか今につながっている。だから、その最初の一歩を、不安だからといって自分でもみ消さないでほしいな、と思います。
話し手プロフィール
佐々木真理絵
英語が話せなかったところから、プロバスケットボールチームの通訳としてキャリアをスタート。
バレーボールチームの通訳、女子バスケットボール日本代表、ラグビー男子日本代表ヘッドコーチのアシスタントなど、さまざまなスポーツ現場を経験。
現在は、スポーツ界で通訳を目指す人たちの育成にも力を入れている。